『黒キリカの実在』


黒キリカがクロエたちをどう思っていたかについて、
私は「本編で黒キリカがクロエを受け入れているのだったらいいなあ(笑」と言うこともありますが、
実際に本編で黒キリカはクロエを受け入れています。
黒キリカにおいては、好意の表れは抵しないという事だったりします。
黒キリカの内面は、分かる人には分かっていただけていると思います。

黒キリカが確かにそこに一人の人間として在る、という事は、
洞察力と観察力に優れた感受性豊かな人なら何も難しく考えずにすっと分かるでしょう。

逆に、そうでない人は、エルフを『視』る事が出来ないように(by ベルセルク)、黒キリカがそこに一人の人格としてあり、
そしてクロエとアルテナに少しづつ心を開きながらも己の罪に苦悩しているという事を、どうしても『視』る事ができないのでしょう。
実はこれだけは、好みや派というものではなく、確かに本編に呈示されているものをちゃんと正確に認識できているかどうか、
という認識能力の問題だったりします。ほとんど国語の読解力ですね。
「黒キリカは白霧香の洗脳暗示下にかかった状態」、もしくは「黒キリカは二次的な人工的な人格」、という説は、
好みや派と呼ばれるものでは実は無く……言い難いのですが、残念なことにただの認識能力不足ゆえの間違いです。

黒キリカを黒キリカとして認識し受け入れる……本編ではアルテナ、クロエ、荘園の人たちだけでしたね。
彼女たちだけは黒キリカと同じ属性を持つ深い人間であるがゆえに黒キリカが確かにそこに居るという事がわかっていたのです。

ミレイユが第23話「残花有情」で「私の相棒は心に闇を植えつけられた」と言っていますが、
これはミレイユが「黒キリカを認識する事ができない」魂と精神の持ち主だという事を示しています。
つまり、ミレイユにとっては、彼女が表現する所の「闇」は外部のものであり、自分自身にはその「闇」はなく、
霧香はその闇を他者によって「植えつけられた」可哀想な被害者だ、という事なのです。
少し例としては不適当かもしれませんが、こういうのと比べてはどうでしょうか?
子が悪さをすれば大体は親が責められます。そしてもしかしたら親も子供がそうなったのは自分の教育のせいだと思うかもしれません。
でも本当に子の形質の全てが親の手によるものなのでしょうか?
親が感知も影響も及ぼせぬ子自身の固有の性質というのはあるのではないでしょうか?
「おれの両親は二人とも公務員さ。他の4人の兄弟もみんな真面目に公務員として働いてるはずだ。
 おれだけがこうなった。誰のせいでもない、結局腐っていたのはここ、このおれ自身の脳みそだ」(by 右京)
ミレイユの認識は、ミレイユ自身が今まで生きてきてこのような認識を持った事が全く無いという事を示し、
また同時にミレイユの認識能力の限界、ひいてはミレイユの人間としての限界を示しています。
もしも自分自身に関してそういう認識を持った経験が一度でもあったのなら、「闇を植えつけられた」という表現など、
とてもではないですが恥ずかしくて使えないでしょう。
あの「相棒は闇を植えつけられた」という言葉は、ミレイユの性質をとてもよく表しています。

黒キリカへのアルテナとクロエの接し方を見るにつけ、つくづくアルテナたちは深い人間なのだなあという事を思い至らされます。


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