『真のノワール』





 死を司る二人の処女、真のノワールが復活する運命の日。
 あの日全てが終わったあと、荘園の館の自室に立ち寄った霧香は小さな封筒を見つけた。
 机に置かれたそれは、霧香に宛てたクロエからの手紙だった。
 初めてそれに目を通した時、霧香は泣いた。
 自分を想ってくれるクロエの優しさと愛情に霧香は涙を流した。

 クロエの気持ちを知ったその日から、その手紙はクロエと霧香の大切な絆の証となっていた。
 霧香は時折クロエの手紙を読み返していた。
 今もまた、窓から陽光が差し込み風のそよぐ音が奏でられる部屋で、クロエの手紙を開いている。


 あなたがこれを読んでいる時、きっとわたしはあなたのそばには居ないのでしょうね。
 ノワールとは、二人の処女の御手が世に救いをもたらす古よりの運命の名。 
 あなたはわたしかあなたのお友だち、どちらか一人を闇の処女に選ぶ事になるはずです。
 もしあなたがわたしではなく、あの人を選んだ時の為にこれを書きます。
 その時わたしは、あなたと言葉を交わす事が出来ないだろうから。

 初めての試練に臨むあなたを見て、わたしはノワールとなる決心をしたというのはお話しましたね。
 あなたが荘園を去ったあと、ひとりきりの修行はつらい事がたくさんありました。
 でも、あなたと再会する日を夢見てわたしはがんばりました。
 あなたが荘園に帰って来てくれて、家族として暮らせて、わたしはうれしかった。
 あなたがわたしの心を優しく包み込んでくれたから。

 わたしは、安らぎをくれたあなたの手に掛かるのなら悔いはありません。
 でも、最後の時を迎えて、あなたに何も言えない事だけは耐えられません。
 だから、わたしに幸せをくれたあなたにお礼を言わせてください。
 ありがとう、わたしの愛しい人。
 あなたに逢えて、わたしは幸せでした。


 霧香はこの手紙を読むたびに、心がせつなく、そして暖かくなる。
 目を閉じて手紙を胸に抱き、クロエの想いを深く心に染みわたらせる。

「なにをしているの……」

 霧香の背後から声が掛けられる。
 よく通る涼やかな声が室内に響く。 

 その声は霧香のとても好きな音色。

 声の主に振り向いた霧香の前には、柔らかな微笑みを浮かべる葡萄色の髪の処女がいた。

 その髪は霧香のとても好きな色。

 霧香に微笑みかける人物は、室内をわずかに流れる荘園のそよ風に髪をなびかせている。

「うん、なんでもないよ……クロエ……」

 霧香はのんびりとした口調で静かに答えた。 

「そうですか……」

 クロエは開け放たれた扉の前から物想いに耽る霧香の背中を見て邪魔をしてしまうかも、
 と少し迷ってから声を掛けた。

 優しく返事をしてくれた霧香の穏やかな微笑みに、クロエは安堵した。

「クロエは、どうしてここに」

 手紙を丁寧にたたんで机に置きながら訪問の理由を尋ねた。
 クロエは何かを考える仕草を見せ、やがて小さな声で答える。

「何となく、あなたに逢いたくて」

 霧香の声が聞きたかった。
 だから霧香の姿を求めてここに来た。
 クロエは上目づかいで霧香を見つめる。
 そんな仕草を見せるクロエを、可愛らしい、と霧香は思った。

「そう……」

 霧香はクロエにゆっくりと歩み寄り、クロエの美しい髪に手を添えて撫でる。

「あ……」

 クロエは軽く驚きの声を上げたが、すぐに心地よさそうな表情を見せ、髪に触れる霧香に身をゆだねた。
 霧香は顔を近づけてクロエの髪の匂いを嗅ぐ。
 クロエの髪から微かに葡萄の香りがした。





 あの時もこんな香りがした。

 真のノワールの復活が行われた日の情景が、霧香の脳裏に浮んでいた。
 あの時、霧香はミレイユに向かって刃を振るわんと駆けるクロエの背中を追いかけ、その腕で抱きしめた。

「あなたを捨てたりはしない、わたしはあなたと真のノワールになる」

 何故そんな言葉が出たのかは分からない。
 ただクロエの哀しみに満ちた表情を見た時、クロエと共に生きてあげたい、霧香はそう思った。
 背中から抱きしめられたクロエは驚きと歓びに体を震わせて霧香に尋ねた。 

「本当に、わたしと一緒に真のノワールになってくれるの」

「うん、これからはクロエと一緒に生きる」

 その言葉を聞いたクロエは霧香の腕の中で歓喜の涙を流した。

 あの日からクロエの髪の匂いがわたしの好きな香りになった。

 クロエの髪の匂いを嗅いでいると霧香は不思議と穏やかで優しい気持ちになれた。

 髪を撫でられ霧香の息遣いを間近に感じているクロエも、同じ過去の記憶が甦っていた。 
 あの時、霧香は自分ではなくミレイユを選んだと思った。
 仲睦まじくパリで暮らす霧香たちを想像して心が苦しかった。
 しかし、哀しみに暮れるクロエを霧香は見捨てなかった。共に真のノワールとなることを約束してくれた。
 魂の伴侶たる霧香がそばに居てくれる。
 クロエはそれがたまらなく嬉しかった。
 だから泣いた。霧香に縋り付いて涙を流した。

 その日からこの荘園でアルテナと霧香、そしてクロエの三人で暮らしている。
 クロエの心と体を暖かく包む、慈愛に満ちたアルテナ。
 クロエをそっと見守り、心にさわやかな風を送ってくれる優しい霧香。
 三人での生活は日を重ねるごとに輝きが増し、クロエの大切な想い出になった。

 髪を撫でてくれる霧香の手の感触と暖かさがとても心地よかった。

「ねえ……」

 クロエは甘やかな吐息の混じる声で霧香に問いかける。

「なに……クロエ」

 霧香は髪を撫でる手を止めて聞いた。

「あのとき、わたしと生きる事を選んでくれて、うれしかった」

 そう言ってクロエは目を細めて微笑み、霧香に体を寄り添わせる。

「わたしは……あなたを愛しています」

 霧香の肩に軽く頭を乗せて、クロエはささやくように愛の告白をした。
 クロエの想いがゆっくりと霧香の心に広がっていく。
 霧香はクロエをとても愛しいと思うと同時に、不思議な感情があふれ出すのを感じた。

 心に満ちていく、この気持ちはなんだろう。

 この気持ちは自分のことを、愛しいと書いてくれた、クロエの手紙を読んだ後の日々の中で時折湧き上がってきた。
 微笑みを浮かべて自分を見つめる、クロエの愛情に満ちた瞳を見たとき、霧香はそれが何であるのか分かった。

 ああ……そうか……

 わたしは今、幸せなんだ。

 クロエと共に暮らし、愛されることが、どれほど心を癒してくれていたか。霧香はそれを理解した。
 霧香は優しさと愛情を込めた微笑みを贈りクロエの愛を受け入れる。

「知っているよ……ずっと前から」

 クロエは甘えるような歓びの表情で霧香の瞳を見入る。
 静かに見つめ合う二人は、どちらからともなく自然と唇を重ねた。

 このまま時が止まってくれたらいいのに。

 くちづけを交わす二人は同じ想いを浮かべた。
 愛を確かめ合う処女たちの心はひとつになる。

 柔らかな陽射しの差し込む部屋で、クロエの手紙が荘園の穏やかな風に揺られていた。












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雪風さんよりSS『真のノワール』を頂きました。
また、私がSSに挿絵を描かせて頂きました。

クロエの手紙……とても切ないですね。
でもその手紙を読む霧香の部屋に入ってきたのは……
言葉を重ねなくても、静かに心を通じ合わせる二人が素敵です。
頬に手を添えたり髪をさわさわしたりなでなでしたりする情景が好きで好きでたまらん会に所属している私としては、
クロエの頬に手を添えたり髪をさわさわしたりなでなでしたりする霧香さんが好きで好きでたまらなかったりします(笑
クロエの髪からは葡萄の香りがする……本当にそんな気がしますね。
そしてストンと自分の幸せを自覚する霧香とクロエの交歓……すごく善いです。
荘園でアルテナとクロエと霧香の三人で暮らすうちに満ちてくる静かな喜びと輝き、
なんだかとても幸せな気持ちになれます。
雪風さん、このたびは素晴らしい萌えSSを贈って頂き、どうもありがとうございました。


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