『上司』 第19話「ソルダの両手」で、クロエとミレイユの会話で 「苗木には常に光と水を。ただしアルテナの望む時に望むだけ」 「アルテナ……あんたの上司だそうね」 「……アルテナは厳しいけれど優しい。 あなた達が試練を乗り越えるのを心を痛めながら待っているのです」 というのがあります。 ここでミレイユが「あんたの上司だそうね」と言った時、 クロエはわずかに眉を寄せ、「アルテナは厳しいけれど優しい」と応えます。 この時のクロエのわずかな表情の変化について考えてみました。 クロエにとってはアルテナはソルダという組織の中での関係としては直属の上司です。 上司アルテナと部下クロエ。 クロエはアルテナの命令を受けて行動し、またアルテナ以外の何者からも命令は受けない。 組織内の関係としてはあくまで厳正な上下関係があります。 また、アルテナはノワールの苗木であるクロエの育成係として、戦闘技術やその他教養を教育しました。 それはクロエが幼い頃から行なわれ、特にその戦闘技術の教育はとても厳しいものだったしょう。 そして今現在アルテナはクロエに幾多のつとめを課し、クロエは主に殺人……クロエ自身にとっては全く無関係で怨恨も敵対も 無い人々を殺害する……という行為を、敵の反撃に身をさらしつつそれを回避するという危険を冒しつつする事によってその つとめを遂行しています。それらはクロエにとってはとても重く、厳しい事だと思います。 試練から生還するという事だけではなく、そのような使命の元で生きるという事が。 もちろんそれはクロエ自身が決心して選び取った道であり、クロエ自身もその事を何度も心の中で咀嚼しているでしょう。 でもそれととその事自体が重圧であるという事は別です。 そしてその道は今の所はアルテナ無しにはありえない道です。 まぎれもなくクロエはアルテナの部下であり、アルテナはクロエの上司なのです。 しかし同時に、クロエにとってはアルテナは、小さい頃から自分を育ててくれた母親や年長の姉のような存在であり、 ひとたび荘園に帰ればただいまを言える人であり出迎えてくれておかえりなさいと優しく抱きしめてくれる人であり、 葡萄を摘むなど一緒に泥にまみれて農作業をする人であり、夕暮れの中歩きながらなにくれとなくおしゃべりをする人であり、 一緒に目を瞑って祈りを捧げて静かに食事をする人であり、食事初めには左手でワインに手を伸ばすのが傾向な人であり、 夜寝る時にはおやすみのキスをおでこにしてくれる人であり、せがめば何かしら寝物語を語ってくれる人であり、 つとめに行く時には気をつけていってらっしゃいと肩に手をかけてくれる人であり、昼に荘園を散歩すれば木陰で膝枕をして くれる人であり、時々遠くを見るような目でぼーっとしたり無口になったり、こちらからいきなり声をかければはっと驚いて お間抜けなおくちぽか〜んな表情を見せてくれたりする人であり……と、 自分にとってはかけがえのない愛する人であり、何よりその生々しい生活感を知っている人です。 衣食住を共にして長く一緒に暮らしていれば誰でもそうだと思いますが、 クロエにとってはアルテナは、「かつて死を司ると恐れられた慈母アルテナ」だけなのではなく、 もちろん「陰謀、策謀に余念の無い冷酷非常の黒幕」「謎の存在」でもなく、 ありありとした、現に生きている、存在感溢れる人なのです。 それは外聞によってのみ知る事の出来る「慈母アルテナ」とは全く様相が異なります。 すなわち、クロエにとってはアルテナは「生活を共にする家族」なのです。 (余談ですがアニメNOIRの秀逸な所は、このような「キャラクターの生活感」がとても豊かに表現されている事だと思います。 アルテナはただ画面の闇の中で策謀している悪の黒幕ではなく、確かにそこで生きて『生活』している人なのです。 朝起きて顔を洗って朝食をとってトイレにいって手を洗って農作業をしてまた食事をしてお風呂に入って……。 もちろんその全てが劇中で述べられているわけではありませんが、 その述べられていない部分をもありありと想像できてしまうくらいに、荘園でのアルテナやクロエや、途中から加わったキリカ 達の生活の描写が豊かで生き生きとしているのがすごいと思います) そして今ミレイユが「アルテナ……あんたの上司だそうね」と言う。 アルテナは私の上司。もちろんそれは厳然たる事実。私はその事に誇りをも持っている。 でも。その言葉だけでは私とアルテナの関係は括れない。その言葉だけでアルテナを認識してほしくない。 思わずそんな想いがよぎっての、眉ひそめになったのではないでしょうか。 だからクロエは続けて言う。 「アルテナは厳しいけれど優しい。 あなた達が試練を乗り越えるのを心を痛めながら待っているのです」 もちろん物語中のこの時点ではミレイユと霧香にとってはアルテナはただの謎の人です。 だからミレイユ達にとってはその程度の認識であるのは当然です。 霧香に至っては、第18話「私の闇」で「アルテナ……ソルダの幹部ですね」です。「アルテナ……誰ソレ?」状態(笑 (ミレイユと白霧香がアルテナと直接会うのは第26話「誕生」の最後の最後であり、一応白霧香は荘園にやって来て数日間 生活を共にした黒霧香の記憶を受け継いでいないとすると、二人にとってはアルテナはまさにただの『慈母アルテナ』です。 もし二人が、アルテナがクロエやキリカとごろごろらぶらぶスキンシップをしている時のほにゃあとした緩みきった一面を 見てさえいれば……とも思ってしまいます。でもそんな事になったら別の意味で復讐に値しなくなってしまうかもしれません(笑)) ただ、クロエにとってはアルテナは上司というだけではなく『慈母アルテナ』だけでもない。 もし無粋な黒服さん達の邪魔さえ入らなければ、クロエはこんな風に続けたかったのかもしれません。 『アルテナは厳しいけれど優しい』 アルテナ、ちょっとピンチ(笑 ネタはともかくとしても、 クロエはクロエなりにアルテナや自分の境遇というものについて、 かなりのところまで自覚的に考えていたのではないかと思っています。 |